昭和43年01月23日 朝の御理解
御理解 第57節
「金の杖をつけば曲がる。竹や木は折れる。神を杖につけば楽じゃ。」
神を杖につけば楽じゃと仰せられますが。そう言う私はおかげをお互いが頂かなければならん。ところが果たして信心さして頂いておる者が、この楽じゃと言うおかげを頂いておる人が何人おるだろうか。やはり神を杖につき木や竹をついて、曲がったり折れたりしておるからではなかろうかとどうでしょうか。神を杖につくと言う事はどう言う事であろうか。皆さん本当に金光様の御信心をさして頂いておる、この楽じゃと言うおかげを頂かなければね、本当言うと金光様の信心頂いておる、本当においてはないのです。
様々な難儀でちとっつも楽な事はない。本当にこの世は苦の世だ苦の世界だと、その苦しいところを一つ一つ神様にお願いして助けて頂くと、なるほどそういう有り難うもございます。けれども多くは杖なのです。それが信心頂いておる値打ちじゃない。信心を頂いておる値打ちと言うのは、確かに金を杖につくのでもない、木や竹をつくのでもない。結局神を杖につくのだ。神を杖につけば楽と仰る。だから結局その本当の神を先ず頂かなければならんと言う事になります。
昨夜田主丸地区の信徒共励会でございました。こちらから文雄先生が参りまして、久冨先生が参りますし、それに大和さんとか久富勇さん当りも、いつもおいでられた訳でございますので、終わられてから帰って来るにお届けになり参りましてからでございました。まぁお茶でも頂きながらでございますか、今日の田主丸地区の共励会のお話の中心になったのは、芯になったものはどんな事でしたかと私聞きましたら、皆さんがそのう今朝の御理解の事で一杯でございました。
昨日の朝の事なんです、それをならいろいろな角度から、それぞれの信心で頂いておられる事をまぁ話し合われたのでございましょう。そして結論と致しましてです、結局先生昨日の朝の御理解、いやぁ今朝の御理解ね昨日の夕べの言葉で、まぁ結局信心はおかげを求めるいよいよ信心を求める、おかげを求める信心じゃつまらん信心を求めると言う事ですね。とこう久富さんが言われる訳です。で私が申しました。それなら私があんた十何年間毎日言うて来た事じゃないかと私が言う。
おかげを求めるだけじゃいかん、信心を求めねば本当は信心を分からなければと、言うて来た事ならば、私が十何年間言うて来た事じゃないか。そう言うまさにそう言うものじゃ言わば、今朝の御理解はなかったよと言うて、私しゃまた改めて今日の朝の御理解を皆さんに説明し聞いてもらったんです。皆さんはどう言う風に頂かれたんでしょうか。信心をさして頂いておる、なるほどおかげおかげと最近は言わずに、本当の信心をわかりたい、これはもう私だけではない沢山の人に言うておる事なんです。
それでいてですねその信心を求めていて、果たして楽なおかげを受けておるかと言うと、楽なおかげを受けていないと言う事。今日私が頂いております、金の杖をつけば曲がる木や竹はおれる。神を杖につけば楽じゃと仰る。神を杖につけば楽じゃと仰る、その神様を杖についていない、神を頂いていない、いわゆる神様を本当に分っていない。だから神を杖についとるごたるばってん、信心をつえについとるごたるけれども、何かがあるともう心が乱れとおる。もう心配しょる。もう腹が立ちょる。
心がひとっつも楽な事ない、いわゆる金を杖について曲がっておる姿であり、木や竹をついて折れておる姿であり、そう言う信心を皆んなが頂いておる。そう言う信心に収まっておると言う事になる。そこで私は昨日のその御理解の中にも申しました様に、いろは48文字の、あれはあのう殆どの人が辿る人生の悲しい歌だと詩だ、という説明を致しましたですね。そして一生を終わる時に、なるほど信心を例えばして居ってもです、おかげが信心と言いながらです。
結局本当の今日私が言うところの、楽なおかげには触れられずに、それを頂かずに一生が終わってしまう。はかない夢に終わったしまう。それこそ「あさきゆめみしえひもせず」であった。最後のひと気張りぽんとあの世にいったら、それがもうこの世の別れだあり最後であり、そしてこの世に何を残し何を自分が持って、あの世に行く事が出来たろか何も持って行くものがない。
その楽じゃと言うものはもっていかにゃ極楽とつながらん。この世で楽じゃと教祖の神様が教えておられるその神を杖につけば楽じゃと仰る。その楽をあの世に持って行かなければ極楽にはつながらん。もうこの世はしかたがなかった本当に苦しい一生であった。はやしむくじゃないけれども、ただ苦しき事のみ多かりきの一生で終わってしまう。それでは詰まらんじゃないかと。
そして今日私が楽なおかげを頂くためには、金や木や竹っではいけない、信心さして頂いておっても楽ではないなら、まぁだ金や木や竹をついておるのであるから、本当の神様を求めての信心でなからなければならないと言う事が。それで私共とくとくとしてです、本当そうじゃそりゃおかげおかげば求めちゃならん、目先のおかげなんか問題じゃない。信心を求めにゃん信心を求めにゃ、これはもう私が十何年間、私だけではない多くの信心をして、おかげを受けた人たちが言われるこりゃ言葉である。
だからそげな気持ちでいうなら合楽通いしているのだから、自分は本当の信心を軽く本当の神を、軽う分かって行きょるか求めていきょるかというと、それが分っておる。だから勇さん私が今朝から言うた事はそげな薄っぺらこっちゃなかったよと。そして昨日の朝も私が申しました。私共の信心もう殆どの人の信心がです、言うならば練乳育ちの信心だと私は申しましたですね昨日。
私は昨日神様にお知らせを頂くのに、私共の信心はですあの牛のマークのついた、あれあのう昨日聞いたんですけれども、あれはあのう森永ミルクでそうですね。いわばあれで私共の信心は育ったようなものなんだと。私のなら十年前の信心、二十年前の信心、三十年前の信心というと、もう大変なそりゃ自分が信心して来た、まぁ育てられてきたと思うけれども。
私共あすこのここでは牛のお知らせを、家のめぐりと仰る。その家のめぐりのために苦しんでおる、その苦しいからさぁ本気に磨こう本気に改まろうと言うので、私共が尻を叩かれる様にして、いうならば育ててきた信心であったと言う事である。こりゃもう私の信心がここ昨日の私は朝を境にですね、本当にこれは母乳育ての信心に切り替へられなければならない。最近ここのお広前が教会としてのお認めを頂く様になってから此の方、もう誰もが言う言葉のなかに。
合楽的信心からいよいよ金光教的信心に脱皮しなければならない。本当の教祖の教えられる道の姿に、合楽の信心の姿が合致して行かなければならない、いわゆる合楽的から、金光教的信心にならなければならない。私はここにあえて金光教的とこう申します。そんならほかのなら教会当りが、なら本当に金光教の信心を頂いておるかと、いわゆる本当に教祖の教えておられる、そのう神の杖をつけば楽じゃと言った様な信心をしておるかというと、今そうではないから私しゃ金光教的とだとあえて申します。
本当の教祖の信心はそんなもんじゃない。そんならぼんの育ちの信心とはどういう様な信心をもっていうかと言う事を、私は今度の27、8日に見えます須賀先生の信心を例にとりました。ですからもう一遍繰り返します。奥さんの入信が始まる、大変な須賀先生が病気になられた時にね、もう医者が難しいと言うほどの病気にかかられた。それが奥さんの信心入信の動機であった。おかげで奇跡的に助かられた。それでもなら神様じゃと信心やら拝んでからども助かるそげな事ない。と自分で思われた。
自分は科学者である。いわゆる自然科学を先生しておられます。その科学者の立場からそのう信心なんかと言うものは、おかしな迷信だと。ところがね、そのうお参りをされる奥さんの信心日常生活の姿が変わってきた訳なんです。こりゃちょっとまぁ言うならおかしいぞと、こりゃあながち迷信だけじゃないぞっと。金光教の信心は何かがあるぞっと、それからもうそれこそむさぼるように、お道のありとあらゆる本を読んだと言われる。それが3年間ぐらい読んどられます。読み続けられた。
そしてこりゃ金光教の信心は正しい信心じゃなぁ、こう言う信心こそが本当の信心ちゅうなら信心だと言う事が。そのうまぁ頭の上で分かっておられた。本読んで分かられた。それでも自分の病気が神様のおかげで良くなったなんて事は思われなかった。これは金光様の信心をもう少し研究しょうと言う気になられて、そのはるばる奥さんと二人で御本部に出て来られた。重野屋に宿を取られた。そして金光様が3時50分にお出ましだと言うので。その時間に教徒社の本部に向かう三叉路のところへ出て。
そこでひとつ金光様を見るに研究しようといわれた、金光様を見てみようと。どう言う人が金光教の教主であるかと言う事を、そしてその三叉路に出てからですね。出てからぽっととこう頭をあげた時にゃもう金光様が三尺まで行ってござったち。もうそれこそもうそれこそオーバーが冬でございますから、オーバーの中に手をこうやって冷えるけん手袋を嵌めてこやって入れたまま、いわば金光様を見てやろうって言うのですから。
その金光様とそのういわゆる金光様が、もうそれこそ優しいその眼差しで須賀さんをご覧になった。その時にですねどうして外套から手を出したか、手袋をぬいたか膝まずいたとが自分でも分からない。一つの霊感。金光様のお徳にもう接して、もうそれこそ身体が縮んでしまう様な思いであったと述懐しとられます。こりゃ大したお方だと言う所からです。本気で金光様の信心される様になった、その前が大変であったんですねぇ。
そして教祖の神様の教えておられるそのいわゆる教典ね、様々な事はもう何年かの間に読みつくしておられるもんですから。この教主様このいわゆる3代金光様。そこからですね、須賀さんの神様参り対するものの見方考え方、須賀先生のそのう、いわゆる生き方と言うものがです、もう天地をひっくり返すように変わった。そこからもう本当にいわゆる教主様、金光様は私の生命の源泉だと言うところだった。私の生命のもうその泉の水の様に湧き出るそのう生命の元だと。
そこからいわゆる本当の教祖の御教えの実践者に、もうそこからなられた訳なんです。そしてそれから何十年間、毎朝毎朝夫婦で。それそのから本部のあの金光の方へ移っておられたんですね。毎朝奥様と二人で3:50分に金光様のお出ましをお拝まれると言った様な信心が始められた。そして教祖の教えられておるその御教えの、いわゆる実践をなさった。もうですからもう私共の信心からもう根底から違う訳なんです。もう本当に教えのいわゆる行者になられた。
そこから頂かれたおかげと言うのは、もう限りのないそれこそ源泉のような泉の様な、湧き出る様、ないわゆる貰い水的なものではなくて、湧き出るおかげの様なおかげに触れて行かれた。違うでしょうが。もう既にそこに母乳に縋りつかれたと言う感じ。ですから金光様の信心しとりゃ、その病気はしませんよっと。薬を飲むような事はないですよっと言われる、その訳が分かります。いかにその教えに行者にならなければならないか。私共はそうじゃないでしょう。
天地の事に無礼致しね、前々のめぐりで難を受けおる。そこんところが私共の場合前々のめぐりで難を受けておる。いわゆる蓮如うである。家のめぐりである、もう家代々がそう言う天地に対するところの神恩報謝どころか、お粗末御無礼を続けて来ておる、それが難の元になっておる。難儀の元になっておる。私共にはそう言う難んの元になっておる難が出て来る。出て来る事によってその何を御影と頂いたり、その難から脱皮したり、その難から聞いて頂きたいと言うて神様を拝んだり。
そうして行きよる内に教えを頂いて、その練乳が育つ、いわゆるめぐりが私共を育ってきたと言う様な感じである。もう根本と言うところから違っておるね。多くのおかげを受けた人徳を受けたと言う人がです。もう殆どその生き方なんです。ところが須賀先生の場合は私そうではないと。私は須賀先生の信心がです完璧と言うておるのじゃないです。そう言う一つの確かに雛形だ、金光様の信心しとりゃもうめぐりの出ようがない。病気する筈はない。お金に無理をする筈はない。
と言う様な言わば事実おかげを受けて来ておられるのでございます。そしてもう金光様の信心をいよいよい、いわゆる神様を拝むと言うところからです、拝むと言うところから、いわゆる昨日私共は還元の生活とこう申しますね。天地に対して還元して行く生活。その湧き出る様なその唯一の泉であるところのです、その命をです、本当に天地に対するところの、金光様に対するところの、神様の喜んで頂く生活に打ち込まれた。いわゆる御用に打ち込まれた。
そこから信心は御用なりと言う、須賀先生独特のその言葉が生まれた訳なんです。もう一番初めから還元の生活に入っておられると言う事。もう今からする事なす事が全て神様へのお礼の生活に変わられたと言う事です。もうここんとこなんかがもう全然久富さん、ここんところが、今まで私が言うて来たとと違おうがのちゅうて、私が夕べも申しましたこつでございます。そこに至って始めて信心は御用だと言う事が分かります。合楽の信心から金光教的信心に脱皮していかなければならんと言われておる。
現在の合楽の私の一つの動向。そう言う動きがある。そこへあっち金光須賀博士をお迎えするということはです。もう何と言う素晴らしい神様のお引き回しであろうかと。私共はまぁだ克って外にそういう母乳育ちの信心て言うものに見た事がない。もう殆どがいわゆる練乳育ちであると言う事。合楽の信心から金光教的信心に変わると言う事は、本当にここに母乳育ちの信心に、私共これからならして頂かなきゃならんと言う、こりゃどうでも勿論今までの合楽の信心を一つの基盤として。基礎として。
私はそう言う信心に切り替えていかなければならないと言う事を思うのです。その事を思わせて頂きながら、只今教典を開かした頂きましたら、一番初めに申しました御理解。「金の杖をつけば曲がる。木や竹はおれる。髪を杖につけば楽じゃ。」その楽じゃと言う神様はですね、そう言う中からしか生まれて来なさらん。と言う事になるね、須賀博士にまえにはもう金の不自由もなかなけりゃ病気も無いという楽なおかげ。だからこういう修行さえさして頂いとけば、おかげが頂けると思う確信しもってござる。
そこに始めて神の杖をついた姿というのが、私はあると思うのです。そりゃねそう言う意味あいでです、本当に金の杖につけば楽じゃと言われる、その楽なおかげを頂かして貰わなければならない。そこで様々な私共が信心いわゆる、何時もこの神様を感じられる為にね、そのうはぁ自分が今の在り方が、大体本当か本当じゃないかと言う事を敏感に感じる為にね、これは皆さん御承知じゃないでしょうけれども。そのう三味線のですね、一番天一番上のこう曲がったとこをテンジンと言いまよね。
テンジンの次のとこへですね、小さい小さい駒があるんですよ。あれは触りごまと申します丁度ようじを折ったぐらいな、金の駒が一番上に付いております。それを触りごまと言います。それがついとらんとですね調子合せにくいんです。いわゆるそれがついとらんと余韻が出らないんです。調子がおうた時にゃびぃんというその余韻が出てるんです。その触り駒がついておると。
だから私共が日常生活の中でですね。そう言う良い音色のおかげを頂くためにです、いわゆる触り駒をつけとかなければいけんのです。だからその触り駒とは何かというとですね、結局私共が何かを持ってですね、これはそのこれこそ私の修行だという何かがなされ続けなければならないと言う事です。お参りだけが修行じゃいかん。はらせきみだいが信心じゃない。それは生前のそれぞれの信心でです、程度に於いてです。
そのその修業を何時も自分の心の中にかけときゃ、いつも神様を身近に感じられる位な何かをそこに修行がですね、私は必要であると言う事を、今朝お知らせを頂きました。いわうる触り駒を着けと言う事である。そしてその調子の会うた、例えば三味線なら三味線からです。いわゆる良い音色の出て来るところの生活が営まれて来る。そしてどこまでも須賀さんが言うておられます、その生命の現象。
そこんところに私は思いを置いて、私共のその生命の元であるところの、天地の親神様へのです、いわゆる還元の生活。神様へのいわゆる神恩報謝の生活。はぁたもう毎日有り難いと思うとりますというのが、神恩報謝じゃない。生きておるこの自分の生命をです、そう言う御用にもう打ちはめる事なんです。そう言う信心をいよいよ体得して行かなければならん。そう言う言うならば雛形のような信心を頂いて、もう現在72かになられますそうですです須田先生は。
それでもやはりどこに行かれてもです、やっぱり3時50分にゃきちっとそのう、起きられてからですねぇ、金光様のお出ましを拝まれると言う事でございますが。そう言う先生が本当にここに神乍らに迎える事になります。ですからそう言う人の話を頂かしてもろうて、決して話が上手じゃない。落語を聞いた様な漫才で聞かせる様な面白い話でもない。けれどもそう言うおかげを受けて、そのおかげをどうしたならば皆んなに分からしられるだろうかと言うて、一生懸命になって話される話をです。
なら頂きとめるために私共が修行をしとかなければ。またあらかじめ例えば日々そうした話を頂いとかなければです、わからん。頂きとめる事ができん。須田先生の信心のどこからそういう科学者と言う様なおかげが生まれておるか、信心が出来ておるかと言う事です。ひとつどうでもこうでも私は頂きたい。そして合楽的信心から本当に金光教的信心に、脱皮していくおかげを頂きたいと言う風に思うのでございます。
どうぞ。